スリランカ旅行  2013年10月9日〜10月29日 21日間 その5

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再びニゴンボ

コロンボへは高速道路を経由する高速バスで帰ることにした。バスステーションに着くとちょうど満員になったところだ。20分ごとにバスは来るとの話だが、満員バスが出発すると次のバスがすぐに入ってきて10分で満員になり出発した。朝の時間帯だからかもしれない。470ルピーと通常のバスの4倍の運賃だが、これだけ需要がある。速いことに価値がある。コッタワのインターチェンジで降りてマハラガマというコロンボ南部郊外が終点だ。ここまで1時間半。ここからコロンボの渋滞を通ってニゴンボまで行かなければならない。マハラガマには鉄道駅があるはずだが、鉄道駅までは行かなかったので、どうしようか考えた。仮に鉄道でコロンボ・フォート駅まで行っても、その後タクシーで行かなければならない。空港からコロンボ・フォート駅までまけさせて2500ルピーだったからその向こうのニゴンボまでは3000ルピーは要求するだろう。鉄道には乗らず、ここでタクシーと交渉してニゴンボまで行くことにした。ニゴンボまでは行ったことがないタクシーを捕まえて、渋ってはいたが金額の絶対値に目がくらみ2800ルピーでいくことにまとまりニゴンボまで行った。相当にぼくに取っては得である。しかしトゥクトゥクにとってはあまりに長距離で長時間渋滞もしたので3000ルピー払った。

ニゴンボはもともとはラグーンの入口にある漁師町で、ラグーンでのかに漁がさかんである。レストランでもカニ料理のメニューがある。ぼくはかにさんが大好きで、かにさんが安いと、どの国でもまず、かにを食べる。ゴールから帰って昼食がまだなので、かにを注文した。このビーチエリアのレストランはすでに5、6軒はいって食べたが、いちばん気に入ったレストランにはいった。890ルピーと他よりも少し安いが大きなかにが4匹とサラダ、ポテトフライがついている。スリランカ人にはかなり高いが、こういうところで食べなければ、来たかいがない。ビール3本飲んでも1730ルピーとなり日本円なら1300円ぐらいだ。ぼくは年間飲酒日数を50日以内と決めているが1日の定義を24時間としているので、きょうの昼食は2時ぐらいから始めたので、今晩の夕食、明日の朝食と昼食までなら、いくら飲んでも24時間以内に収まり1日というカウントになる。そして実際そうした。旅行前までの飲酒日数が31日なので、これで36日になるはずだ。その後帰国して骨折のため入院して計1か月ほど飲めなかったので、今年も楽々50日以内の飲酒日数は達成できるだろう。

  

カムロ・レストラン セレンディブの向いにあるまともなレストラン。ここのかに料理が一番良い。右は町並み

カタマラン

ホテルのテラスで海を見ているとカタマランという帆をはった漁船が漁をしている。ヨットでのカタマランは左右同一サイズの双胴船だが、この漁船は船本体は大きく、安定を保つために細い、胴体だけのアウトリガーが本体から張り出してついているタイプだ。ヨットでは三角帆だがこの漁船は縦長の長方形で2本のマストがあり、1本はメインマストで垂直だが、他の1本は可動式で上部で帆を横に展帆する役目だ。

ここからはヨット用語を使う。風下に向かうランニングをするカタマランがある一方。風にほぼ45度の角度で走るクローズホールドの船が次々と走る。クローズホールドではいつか90度つまり風に向かって右に45度で走っていたら今度は左に45度に向きを変えないと風上には行けない。これをタッキングというが一隻が海岸近くまで走ってきて、もうタッキングしないと岸に乗り上げてしまう。どういうふうにタッキングするのか見ているとなんと船尾の方を風上側に向けて方向転換した。つまり今まで船首だった方が船尾になり船尾だった方が船首になってしまう。ということは船尾につける舵ラダーを付け替えるか双方にあり、船尾側になった方を下げ、船首にあるラダーを上げるような機構がなければならない。後日、ムトラジャヤ・ビジター・センターからの帰りに漁港によってもらい陸揚げされたカタマランを見たが、側面に前、後ろ、真ん中に可動式のラダーが3つついていた。真ん中のものはセンターボードとして使用し横流れを防ぐものだろう。(ヨットとしての完全双胴の小型カタマランならセンターボードもない場合がある。)

クローズホールドで走れば必ず外側に傾く分力もできるため、それを軽減するためにはアウトリガーが常に風下側というか外側にしなければ安定性を得る役割を果たさないからだろう。しかしこの方式はかなりタッキングに手間取り、ヨットなら数秒ですむタッキングを15秒程度はかかり、かなり波に流される。

一番右で転回し始めた。流されるので遊泳禁止の看板よりどんどん右に移動している。

遊泳禁止の看板より、さらに右に移動し、フェンスのブロックより除々に右にながされている。

 

   

左側に3つのラダーがついていて上下できる。   船はきわめて細く、アウトリガーへの支柱の間にデッキがあり荷物をのせている。

さらにおかしいのはランニングのときのスピードが著しく遅いことだ。ほぼ真後ろから風を受ければ一番効率がよく早いはずだが遅い。たぶん網を引っ張っているのだろう。漁港ではカタマランよりエンジン付きの小型漁船の方が多く、カタマランはなくなっていくのだろう。ただしカニ漁では静かに網を引くこと必要だろうから多少は残るかもしれない。北海道の野付半島、野付湾でも、かに漁だか、えび漁のとき帆を張り静かに網を引き漁をしていたが、それをぼくが見たのはかなり昔なので今はどうだかわからない。

ムトゥラジャワラ・ビジター・センター

ニゴンボ周辺には訪問するような観光地がほとんどなくガイドブックにもムトゥラジャワラ・ビジター・センターが唯一のっていた。運河を船で移動し、バードウォッチングをするのだ。ガイドが案内してくれるというが事前に予約しなければならないとめんどうなことが書いてある。ホテルの電話を借りて、明日の朝10時に行くと予約した。ニゴンボではインターネットカフェを見つけて日本のニュースなどを見ていたので、Google Mapでムトゥラジャワラ・ビジター・センターの場所を確認した。変なところに、間違えてタクシーが連れていくといけないからだ。Google Mapではムトゥラジャワラ・インフォメーション・センターでしか検出できないが同一のものがどうか不安なところである。その地図を印刷した。ちなみにインターネットカフェは一番安いと思ったところは1分2ルピー、次が1分3ルピー、ジェット・ウイング・ブルーという高級ホテルの近くは1分5ルピーだったが、ここが一番低速でサービスも悪い。また標準でMSゴシックが英語Windowsでもインストールされるはずなのに、それがなくて漢字が表示できない店もあった。そのことを説明してもわからないから困ったものだ。

翌日、ニゴンボ道路が渋滞して10時に間に合わないといけないので8時に出発した。ホテルの前のタクシードライバーにムトゥラジャワラ・ビジター・センターを知っているか聞くと、3人までは知らないというので相手にならない。次に来たトゥクトゥクは知っているというので確かかと確認して乗った。知っているか知らないかでトゥクトゥクドライバーも収入がかなり違うだろう。事実知っているというトゥクトゥクは内部もきれいで、かざりもあり、はぶりもよさそうである。意に反して彼はラグーンと海の間の砂州の道路を走った。ここにも道路があったのだ。こちらは渋滞していないので早々についてしまった。ビジター・センターという名称なので多少はりっぱな建物かと思っていたが民家に毛がはえた程度の建物である。バードウォッチングを30分程度早く出発できないか聞いたら、他に10時出発の客がいるのでいっしょの出発でないとダメとのこと。かわりにこのラグーンの紹介ビデオがあるから見せてやるということでみていた。ビデオが終わってしばらくすると同乗者が到着した。どうやら日本人の女性が1人である。バスを乗り継いで徒歩で2.5kmというガイドブック記載の方法で来たようだ。

運河に浮かんだ船に乗り込んだ。この運河はダッチ運河と呼ばれておりオランダが作ったものだ。例によってスリランカ人は無料でぼくを乗せてきたトゥクトゥクのドライバーも乗り込んだ。彼には終わるころくればいいから、商売してきたらと言ったが終わるまで待っているという。ぼくの乗車できょうの売り上げはだいたい確保できたのだろう。往復2800ルビーだ。

  

ムトゥラジャワラ・ビジター・センター   内部には漁具の展示もある

  

ダッチ・キャナルと呼ばれるオランダ統治時代につくられた運河を遡行する船に乗船した。

船頭1名にガイド1名、タクシードライバーもただで乗船。客は日本人女性とぼくだけ。

  

ダッチ・キャナルで投網をする。信じられないくらい簡単に魚がとれる。

  

この日は聖母マリアの祭りの日らしい。ニゴンボの人はキリスト教徒が多い。仏教では殺生を

禁止しているため漁師をなりわいにしているニゴンボの人たちはキリスト教徒になった人が多い。

  

ダッチ・キャナルからニゴンボ・ラグーンにはいる。漁師が魚を集めるために作ったバンクにとまる鳥たち。

 

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