スリランカ旅行  2013年10月9日〜10月29日 21日間 その6

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ラジャパクサ大統領

   

3種類の1000ルピー札の表と裏。                            最新の1000ルピー札の表、ラジャパクサ大統領の肖像

最新の1000ルピー札の表はラジャパクサ現職大統領の肖像画がのっている。過去の人物ではなく存命中の人、しかも最高指導者の自分を印刷して発行するなど、どういう大統領だろうか。こんなことをしたのは知りうるかぎり歴史上最大の人殺し、毛沢東のみ。

ラジャパクサ大統領は国のいたるところに自分の巨大な写真看板を立てている。オバマ大統領といっしょのものや、自分の会派の地方議員などといっしょのもの、自分のみの単独のもの。開通した空港高速道路の入り口にもある。本年2013年3月18日に南部のマッタラ市に開港したあたらしい国際空港の名称もマッタラ・ラジャパクサ国際空港と自分の名前をつけている。費用の9割は中国の融資で中国の企業が建設した。

行く前に読んだ本によると開発独裁になるつつあるような記述がある。

   

ニゴンボでの夕日と虹

空港

空港まではP.S.J氏のトゥクトゥクで向かったが空港職員に呼び止められた。客を乗せていたので、そのまま行けたが本来トゥクトゥクは空港立ち入り禁止らしい。普通車のタクシーでないと出入りできない。建物の入口で彼への謝礼、松葉杖とその謝礼金を渡して彼と別れた。

帰国便は往きより乗り換えが多くスリランカ航空でバンコクまで、そこから大韓航空でインチョンまで、そしてさらに乗り換えて中部空港までとなる。2回乗り換える。しかも異なる航空会社。こういうパターンは経験したことがないので搭乗券の発券は大丈夫かと心配した。ぼくは荷物を預けてベルトコンベアで出てくるを待つということが好きではないので機内持ち込み制限以内の重量にして到着するとさっさと入国審査を受けるようにしている、往きはそうしたが、骨折していては荷物を機内に持ち込むようなことはできないので預けた。異なる航空会社で荷物がリレーされて無事に日本まで届くか心配してバゲージクレイムタグは大切にしまっておいたが、無事に届いた。

ほんの少し前までは同一の航空会社便で乗り換えても乗り換える空港の何番ゲートから乗り換え便が出るかは空白になっていたが、今回コロンボ空港で発券された3つの搭乗券にはすべて各空港での出発ゲートが記載されていた。オンラインが進歩したのだろう。そのうえ最初にコロンボで巡回している職員にどのカウンターに並ぶのか聞くと、彼がeチケット(エレクトロニック・チケット、航空券)のデータを見て、肩からぶら下げたポータブルな装置でその場で搭乗券を発券してくれた。つまりワイヤレス発券機を持っていることになる。

コロンボ空港でスリランカ航空の係員に車いすを頼んだら、すぐに担当者が来てのせてくれ、さらに出国審査や手荷物検査、身体検査も優先的にしてくれた。バンコクのスワンナプーム空港では車いすをもった職員が巡回しており、向かうから、乗りなさいと声をかけてくれて同様に優先扱いをしてくれた。韓国のインチョン空港では大韓航空が到着すると事前に空港に連絡していたにもかかわらず、最初は10分ほど待ってくださいと言われたが結局35分待ってやっと職員が車いすを持ってきてくれた。後は優先扱いされた。中部空港でも事前に連絡してもらっていたので空港職員が待っていて、すぐに車いすに乗り優先扱いで入国し税関までこれた。韓国のインチョン空港は滑走路が現在でも3本あり、今回の4つの空港では一番規模の大きな空港といえるが、サービスは一番悪かった。

帰国後

帰国して、翌日ギプスを作りなおしてもらおうと整形外科医院に行ったら、手術しないと直らないが明日院長ともう1度相談してくれと言われた。そんなに深刻な骨折だとは思っていなかったので驚きであった。

翌日、院長と話すと深刻な状態だが、なってしまったものはしようがない総合病院で手術を受けなさいということになり、病診連携で紹介されて11月1日に入院した。今どき骨折してから3週間もたってから病院に来る人はいないと言われ、返す言葉もなく何にも言えなかった。ドリルでかかとに穴をあけ串をさして3キロの重りで関節を正常状態の方向に矯正することになり、ベッドに釘付け。1週間後の11月7日に3時間30分という通常より2倍以上長いという手術を受けた。ドクターがすばらしい人たちで、感謝にたえない。手術代は2倍もらってもいい手術であったと、その困難さを述べられたが、さまにその通りだろう。レントゲン写真で見るとプレートがありスクリューがいっぱい挿入してある。11月18日に退院して自宅に戻った。妹夫婦がいろいろ助けてくれた。家の中では主に車いすで移動して生活した。また母の介護をしていたころ、便所や風呂場、廊下、玄関、勝手口、各部屋入り口などにたくさん手すりを取り付けてあったので車いすで、はいれないところを移動できて助かった。台所も今年の春に床を張り替えたとき、テーブルの配置を変えたので、無理せず移動できた。

ぼくは毎日、4キロジョギングをしていたが、それが将来、再開しできるようになるか心配ではある。また今年は30年ぶりに登山を再開して御嶽山や北アルプスの白馬岳などに登った。今回旅行の直前には登山靴を買い替えた。リュックサックも買い替えてあり、その他登山用品もかなり買ったが、登山が再開できるか、またスキーができるか、心配である。投下したお金が全て無駄になってしまう。

  

かかとを貫通して3キロの重りで足を引っ張る。1週間後に手術した。

親切

ぼくは今回旅行で骨折して実にさまざまな人たちから援助、親切を受けた。遺跡の階段を登っているとき腕を支えてくれた人、ぼくが松葉杖で通ると通路を開けてくれた人たち、松葉杖を見ず知らずの外国人に貸してくれた人、帰国時に名鉄の駅の階段で頼んでいないのに、見かねて荷物を運んでくれた高校生や、若い人、座席を譲ってくれた人、などなど。この場で再度、お礼をいいたい。ありがとうございました。ぼくも、こういう事態に遭遇したら積極的に手をかさなければいけないと痛感した。

また仕事とはいえ最善を尽くしてくれたドクター、ナース、リハビリ職員など病院関係者にも感謝にたえない。妹夫婦にも感謝感謝である。

骨折しても自分のわがままのような事で旅行を継続して骨の状態は悪化しただろうが、25年ぶりのスリランカ旅行は非常に有意義であったといえる。けっして骨折り損のくたびれもうけではなかった。

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