フランス
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フランス1999年9月28日から10月9日

9月10日に航空券を買いに旅行社に行った。9月13日ぐらいのチケットを買って、ほんとうはもう1週間か2週間はやくいくつもりだったが、行きと帰りの航空券がとれるときをさがしていたら、この時期になった。帰国してから知ったのだが、この時期パリ・コレクションが開催されていた。それでかどうかしらないがホテルを取るのに苦労した。どこも満員であった。TGVでディジョン市とそこからさらにボーヌにも行ってきた。ブルゴーニュ・ワインの産地だ。ほんとうに1週間か2週間はやければコートドールという黄金の収穫期の風景がみれただろう。パリの10月はじめの季節は、感じとしてぼくの住む愛知県の12月ごろの季節で、寒く、コートを着ている人もいた。半そでのシャツとジャケットがあるだけで出かけたので寒く感じるときもあった。

キリスト教徒にとって2000年は非常に重要な年なのだろう。そのためノートルダム寺院は化粧直しで足場かけ状態、ポンピドーセンターは全面改修で閉鎖。オランジュリー美術館も閉鎖改修。オペラ・ガルニエも正面を化粧直し。ギメ美術館も閉鎖。グラン・パレも改装中という状態だ。来年くればすべてきれいになって見ることができる。しかしルーブルやオルセー、ピカソ美術館、プチ・パレ、中世博物館、カルナヴァレ歴史博物館、エッフェル塔、凱旋門などはるかにたくさんの施設は開いていたので見ることができた。

パリ

ぼくにとってヨーロッパは今回がはじめてでいままではすべて熱帯の国か地域に行っていた。空港で入国審査を出てロビーに立ったとき、ホテルの予約もしていないし、迎えにきている人もない。どこまで地下鉄でいけばいいのかもわからない。大丈夫かと不安になったがなんともなかった。地下鉄のサンミシェル駅が中心部そうなのでそこで降りた。出てきたら雨がふった後でセーヌ河の斜め対岸に、いかつい建物がみえたがそれがルーブル美術館だということもそのときはわからなかった。

毛皮のついたままのうさぎがかけてある肉屋さん

カルチェ・ラタン地区を一通り見て、このホテルにしようと決めてはいったら満員でダメ、次も満員、次も次もダメ。ホテルの品定めのときパスしたホテルに聞いてもダメ。人種差別なのか、ほんとうに満員なのか。あるホテルでどうしてこんなにダメなのか聞いてみた。9月10月は観光シーズンでいそがしいとのこと。しかしそこで知り合いのホテルに電話して空き部屋を紹介してくれた。住所も書いてくれてやっとホテルを確保できた。しかし当面パリには4泊するつもりだったが2泊しか空いていないという後2泊分どこかでさがさなければならない。2泊してからホテルに再度延長できないか聞いたら非常におしゃれな格好したマダムにすげなく、ノンと言われた。しかたなく、他をさがしたが満員。その中で1件だけ相部屋ならあるというところがあり、受け付け人はどうしても他がないならうちに来いと言う。やはり他は満員なのでそこにした。相棒はどうもユダヤ教徒らしく、それらしきものがベッドの横においてあった。ぼくが夜11時ごろ帰るとすでに寝ており、こちらがふろにはいって音をだすのが申し訳なかった。それでも社交辞令で少し話をしてくれた。翌朝7時に起きると彼はすでに出かけた後だった。その夜はまた彼が寝ていると悪いので少しはやく帰った。9時半ごろだったがやはりすでに寝ていた。朝ははやく出ていた。

凱旋門屋上からエッフェル塔をのぞむ

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パリの町を夜中に歩いているとかんじるのは、ほんとうにどんな小道でも街路灯がついていることだ。建物の壁や左右の建物から渡したワイヤーで道路の真中にナトリウム灯が吊るしてある。しかし幹線から離れた小道は300m先まで街路灯で見えてもいい気持ちはしない。だれか歩いていれば、夜なので強盗のたぐいかも知れないと思い、無人なら無人で歩いていて突然横の建物から人が飛び出してこないともかぎらない。

ディジョン

ディジョン市といえばワインの産地ブルゴーニュの入り口、ワインを大いに飲もうと考えた。しかしその前に有名なカクテル、キールを飲もう。昔のディジョン市の市長が考えたというカクテルだ。家で作って飲んだことはあるが本場で飲むのは格別だろう。

ディジョンにはTGVが通っているのでフランス新幹線はどういう乗り心地か体験した。その前日、TGVの切符を買いに散歩がてらリヨン駅にいった。ここからはベルギーやオランダにも列車が出発しているので国際線の切符売り場もある。TGVの予約はどこだろうとさがしてまわった。駅構内で添乗員に連れられた日本人団体客が歩いていったが、たしかにああいう旅行ならいちいち自分でさがしたり聞いたりしなくても旅行ができるので楽だろう。こっちはホテルさがしから当日見学をしつつ翌日の日程や切符の手配をする。まあそれが楽しいことでもあるが。TGVは車内に余裕がありまあまあだった。1時間50分で着いた。

ホテルさがしにまた苦労するといけないのでインフォメーションセンターでホテルを紹介してもらった。ディジョン郵便局の前にあるホテルでそのホテル名も郵便局というものだった。町はお祭りで中世騎士の紋章の大旗が多数通り一面にはためいていた。市場がありその近くで昼食を食べた。アマチュアバンドが市内のあちこちで演奏していて見物人が投票しどのバンドがいいのか決定するようだ。その他、出店やしろうとの店が通りに並んでいた。

ブルゴーニュ風エスカルゴというものがあるはずなので夕食のレストランではそれを前菜にした。ガーリックのはいった緑色をしていた。

ここは昔ブルゴーニュ大公国の首都だった。その宮殿が美術館と市役所になっている。市役所からは今、結婚したばかりのカップルが出てきた。美術館にも行ったかなりいろいろな作品があったが現代絵画はまったく理解に苦しむものだ。

ボーヌ

ぶどう畑。所有者の紋章が立ててある。

ボーヌ市はディジョンから2つ目の駅で、この町で2泊した。駅の近くのフランスという名のホテルが空いていたのですぐにチェックインした。他をさがすのはうんざりしていたからだ。2日目の夕食はこのホテルでしたがホテルの主人が食後の各種チーズを持ってきて、ぼくの方にかがみこみ顔を近づけてチーズの説明をしてくれるのだが、毎日ワインを飲んでいるだろう主人の息がアルコール臭くまいった。ここではぶどう畑のツアーに参加した。有名な銘柄のぶどう畑をまわったがそれらの醸造所には案内されなかった。個人農家の醸造所で説明と試飲をした。もっともっと試飲できるのかと思っていたが観光協会かなにかの半公共の団体の主催なのでそうはならなかった。さらにロマネ・コンティやコルトン・シャルルマーニュにいけるコースは中止されていた。もうすこし前に来ていれば収穫前や収穫の風景がみれて、コート・ドール「黄金の丘」を満喫できたのに残念だった。収穫後の木に残ったぶどうを食べただけだ。

  

ワインカーヴの内部、樽の上に試飲用ワインが置いてある。

翌日、市内のカーヴを見学した。見学というよりはワインの試飲が主目的である。最初のところは入り口がわからず出口からはいって見ていたら、受付まで連れていかれ料金を払いタートバンをもらった。地下や半地下のカーヴのところどころに各種銘柄のワインが1、2本樽の上においてある。そのワインを試飲する。ほんとうの試飲なら口にいれて味をみてから、はいてワインをだすのだろうが、ぼくは試飲とは名ばかりでタートバンになみなみと2,3杯ずつは飲んだ。ワインは一応AOCクラスのものが置いてあったが超有名なものはなかった。最初のカーヴをでるころにはワイン1本分以上は飲んだだろう。もう酔ってしまったが、さらに別のカーヴに行った。ここは前の所より広く、すべて地下で試飲個所も多いしシャンベルタンなどもあった。

オテル・デューとワイン博物館を見学した。

ルーブル美術館

水曜日が夜10時まで開いているので水曜とさらに翌週の水曜に目いっぱい、朝から閉館間際までいた。もうどんなに休み休み見ても足がいたくなるほど歩いた。時期的に閉鎖している部門もあったり先週はみれたのに今週は閉鎖しているというところもあり全部は見れなかった。信じられないくらい大きな絵もたくさんあり、それらが直にみることができ筆のタッチなどもわかる。モナリザ以外の絵はガラスケースやその他保護がしてないものがほとんど。これに比べるとたとえば名古屋市美術館などは最低で有名な絵は奥行きが1メートルもあるガラスケースの一番奥に絵がかけてあり筆のタッチなどまったくみることができない。保護するにしてももっと直近でみれるようにすればいいのに遠くからながめることしかできない。まったくのスットコドッコイが美術館の管理をしているのだろう。あんな展示方法をしていれば全世界からヒンシュクを買い、バカであるということを全世界に露呈していることにしかならない。日本の恥美術館だ。芸術が人類全体の財産でだれもがその鑑賞を享受する権利があるなら、こんな1メートルより近づくことができず、特に美術を志向する人がまじかでみてみたいと思うかもしれないことがかなわないならなさけない。名古屋市美術館はおよそ民主主義国の美術館としてゆるすことのできないことをしている。同じ200万都市でよくこれだけレベルが違うものだ。(名古屋市美術館関係者で執筆者に抗議したいなら このメールアドレスにメールしてください。何度でも反論する。)

以前にルーブルにガラスのピラミッドができたというニュースを聞いたことがあり、そのときなぜそんなものを作ったんだろうと思った記憶がある。しかし行ってみてすばらしいと感じた。そこから地下に下りて売店、各種レストラン、受け付け、切符売り場とそろっている。これだけの地下がなければ入り口で混乱と渋滞が慢性化するだろう。

感動した絵は非常にたくさんあったが特にドラクロワの「自由の女神」、ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」、ジェリコー「メデュース号の筏」、ヴェロネーゼ「カナの婚宴」、ラ・トゥール、ニコラ・プッサンはじめ知らなかった画家の作品を無数にみれたことがすばらしかった

エジプトのアクエンアテン像、メソポタミアのハンムラビ法典や有翼牡牛像がよかった。

総じてこれら所蔵品をよりよく知るには膨大な知識ファイルがいる。広大無辺なバックグラウンド知識、歴史認識とが、いるということを強く感じた。

オルセー美術館

ちょうどこの時期東京でオルセー美術館展をしていてルノワールやドガの作品のいくつかが貸し出されていて空だった。

食事

ぼくは年間の飲酒日数に制限をかけているのでいくら旅行中でも毎日ワインを飲むわけにはいかない。レストランでワインなしで食事することは食事の重要な要素を落とし、ほんとうにむなしくばかげている。しかし規則は守らなければなしくずしになる。フランス人は牡蠣が好きなのか、やたらカキをたべている人が多い。多くのレストランで通り側にカキむき専用の調理人とガラス張りの調理室がある。カキとくればシャブリでぼくも何度かシャブリを飲みながらたべた。最初の2日ぐらいカキや舌びらめを食べていてフランスで是非食べなければいけないものを忘れていた。エスカルゴだ。普通で生きたものをみると食べる気はしないが海の巻貝は食べるのでげてものでもないといえる。

肉料理やソーセージでたっぷりと出てくるのでとても、くどくなって全部たべきれない。前菜でサラダをたのんでもその量が並でなく全部たべたら後が食べれない。スープも同様だ。

ヴェルサイユ

パリからディジョン、ボーヌと行きまたパリにもどった。パリにいっても、どうせホテルは満員なのでボーヌから帰ってきてそのままヴェルサイユまで行き。そこで泊まった。そこでもホテルは満員でインフォメーションセンターでそこの女性から予約してもらった。ホテルの場所は宮殿のすぐとなりだ。ヴェルサイユ宮殿を見て日本のどんなお城もその他日本の歴史的建物もまったくかなわないと思った。巨大で豪華絢爛、重厚。まさにフランス王国が大陸の強国であった証だ。さらにその庭の広大なこととその景観が現代も保たれていることに関心した。しかし入場料を払ってはいるのになぜ便所は別料金なのだろう。なぜ内部にはないのだろう。これが文化の違いというものなんだろう。

ヴェルサイユ宮殿、鏡の間

 

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