インドネシアジャワ島
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インドネシア ジャワ島

2010年5月25日〜6月5日  12日間

インドネシアではバリ島には何度か行ったことがあるがジャワ島には行っていなかったので今回、実行した。主要な目的地は2つ。

世界最大級の仏教遺跡といわれるボロブドゥールとヒンズー教寺院遺跡のプランバナン、ともに世界遺産でありジョグジャカルタの近郊にある。これでぼくが訪問した世界遺産は57となった。ブンガワン・ソロやジャワ原人 (発見当初はピテカントロプス・エレクトスといわれたが現在はホモ・エレクトス・エレクトスという) で有名なソロにも行ったがその近くにある世界遺産サンギラン初期人類遺跡には行かなかった。一部の化石だけみてもしようがないと思ったからだ。かわりにソロの王宮を見たりマーケットでシャツを買ったりホテルのプールで寝そべっていた。

当初今年の3月から4月にかけて行こうと計画していたが4月に町内会の副会長になったのでうまく日程がとれなかった。しかし結果的にはインドネシアの連休期間 (はっきりしないが今年は5/27〜30が連休) に前半が重なってメリットとデメリットがあった。メリットは偶然ボロブドゥールのお祭りのときにそこに行ったこと。デメリットは混んでいてホテルがうまくとれないことがジャカルタ、ボロブドゥール、プランバナンと3回あったこと。

今回デジタルカメラを買い換えて持って行ったが、これがどうしようもない代物で液晶を見ていてもシャッターを押すとピントがあったところを通り過ぎてシャッターが切れる。ピンボケが多発する。特に暗い所はまったくダメでフラッシュ有りでも無しでもピントが合わない。オリンパスのFE-47という製品だ。帰国したら弾圧してやろうと思っていたがバカらしいので止めた。オリンパスは将来のいかなる時期にも買わないことにした。

ジャカルタ

空港での入国に2時間以上かかった。到着が20時ごろでビザ販売所が窓口1つのみ、長蛇の列。そして入国審査では遅々として進まず、顔写真と手の指全部の指紋を撮られた。やっと入国してごまかされそうな銀行員の両替を見破りながらしてタクシーに乗った。めざすホテル付近に来てタクシー運転手が出店の人に聞くとそのホテルはつぶれたという。ぼくは初日の到着が夜なので日本から予約電話をしたところだ。普通外国人を泊めるホテルなら英語が通じるが通じない。間違えて別のところに電話したのかとガイドブックそしてホテル紹介Webサイトで確認したが電話番号はあっている。話が通じなく予約はできなかったが電話には出たのでまさかつぶれているとは思わなんだ。ところがどっこい実際ホテルがあったという場所まで行くと廃墟となっている。きのうきょうつぶれたわけではなさそうだ。それなら電話に出たインドネシア人は誰なんだろう。デタラメだ。その電話番号がすでに他の民間人に割り振りなおされたということだろうか。

その近辺のホテルをいろいろ回ったがすべて満員。大通りに出て若干ランクの高いチプタホテルに行くと泊まれるので決めた。初日からこんなことで大丈夫だろうか。荷物を置いて早速遅い夕食兼ビールを飲みに近くのレストランに行ってナシゴレンとビールを注文した。ビールはないと言う。アルコールを飲むならバーに行けと言う。しかし周りの客はジョッキのようなカットグラスというか切子細工というようなグラスに茶色の液体を入れたものを飲んでいる。あれはビールではないのか、何だと聞き返すとお茶だという、イスラム教の国に来たことを思い出した。ラマダン月ではないことを確認して今回来たぐらいなのにアルコールご法度ということはすっかり頭になかった。ホテルで失敗、アルコールご法度で失敗。初日ですでに2連敗している。オレンジジュースとナシゴレンで夕食とした。

翌日はムルデカ広場に行きモナスという塔にはいった。インドネシアの歴史の模型での物語りが展示してあり、古代からオランダの植民地、日本による苛酷な占領政策そしてスカルノやハッタによる独立のストーリーである。日本人として申し訳ないことである。

 

ムルデカ広場のモナス                                              国立博物館。小学生が見学に来ていた。

その後、ジャラン・ジャクサの通りにジョグジャカルタの航空券の手配に戻った。もう1日ジャカルタにいて、いろいろ見てそれから移動しようと考えていたが、なにかよくわからんがインドネシアは連休でその日は混んで満員である。本日なら乗れるとのことなので急遽ジョグジャカルタに向かうことにした。その手配をオンラインをしている真っ最中に停電してパソコンが止まり10分ほど待ったが復電しない。しょうがないので昼食を取りに散歩し始めた。するとそのエリアは電気が来ている。まったくどういう国だ。ゆっくり昼食をとった後、デパートを散歩してから戻り、航空券を買った。

空港までの渋滞だらけの道をタクシーで走っていると日本流に言えば、サイレンを鳴らし、白バイが2台先導しパトカーが続き黒塗り乗用車が本命で最後もパトカーが力づくで道を開けさせて渋滞の中をすいすいと走っていく。その後を渋滞に巻き込まれてなんとかスカルノ・ハッタ空港の国内線エリアに着いた。あの黒塗り自動車はなんなのか、権力を振りかざす政治家が単に乗っていただけだろう。

ジョグジャカルタ

バタビア航空の出発便を待っていると1時間遅れ、さらにまた1時間遅れという具合で遅延した。その間2度、待合客にパンとミネラルウォーターが配られた。ジョクジャカルタには21時に着いた。またしても夜のホテルさがしから始めた。ホテルデルタに泊まった。

 

ホテルデルタのレストランとプール

小さなホテルでしかも町の中にあるのにプールもある。これで1泊約1400円だから文句は言えない。むしろインドネシアの物価からして高い。

 

タマンサリのプール                                         こちらの顔はアカンベーをしているのだろうか

翌日は王宮クラトンと水の宮殿タマンサリを見た。どちらもガイドを頼まなくてはいけないみたい。クラトンは日本語ガイド、タマンサリは英語ガイドであった。

 

うしろから押す形式のいわゆるサイクルリキシャ。ベチャ

その後、疲れたのでベチャでソノブドヨ博物館まで行き見学して昼食を食べた。なにせ暑いので14時に休憩でビールを飲んだ。さらにマルボロ通りのホテル・ムティアラという中堅ホテルがあったので休憩でビールを飲んだ。ホテルのロビーでも奥まったところがバーであまり目立たない所だ。軍人とおぼしき制服組が飲んでいた。イスラム教徒といえども実は飲みたいのだろう。夜は夕食とビールをホテルデルタ近くのレストランで取った。ジャワ島に来て初めてまともにビールが何杯も飲めた。

ボロブドゥール

5月28日はいよいよボロブドゥールに移動だ。まずプールで泳いでからバスターミナルに行く。まるでぼくを待っていたかのように手招きする人がいる。外国人とみれば、まずボロブドゥールに行くだろうと見当をつけて客の呼び込みをしているのだろう。これはボロブドゥール行きか聞くとそうだというので乗り込んだ。すると1分もしないうちに出発した。運がいいのだろうか、単に客が数人いたからだろうか、途中車掌が「ドゥール、ドゥール」と行く先を怒鳴っている。バス停のスタンドもないが客が乗り込んでくる。最初、そういうところは地元の人にはバス停とわかっていて待っているのだろうと思っていたが、数日後、要するにすべての運行バスは合図すれば止まってくれる、いわゆるデマンドバスであることがわかった。おもしろいのは乗客ではないが歌をうたったり、説教をしたり、ギターやウクレレをする人が次から次にバスに乗り込んでくることだ。そして帽子や空き缶をまわしてお金を有志からもらうことだ。1曲うたう程度でバスが止まったとき降車する。運転手も車掌も何も言わず認めている。ほとんどすべてに寄付する人もいるからおもしろい。イスラムの教えに従って喜捨しているということか。

 

バスでうたう若者。手前の若者が金集め担当                  ロータスゲストハウスの玄関

2時間かかってボロブドゥールに着いた。まずボロブドゥール遺跡内にあるホテルに行き予約しようとしたがイベントがあり満員だといわれた。遺跡内のホテルなら便利だと思うが残念だ。しかたがないのでロータスゲストハウスに泊まる事にした。

昼食後、レンタサイクルを借りて、まず郊外のパオン寺院とムンドゥ寺院に行った。この2つの寺院はボロブドゥールと直線上の位置に並んであり、関係があるのではないかと論議されているとのことだ。